原因をはっきりさせる事が
治る治療の一歩です!
まるいあん矢の先のコンセプトは
探す、見つける、治す。
単純だけど難しい
限られた時間の中で成果や効果をあげる治療院をめざしてます。
急性疾患(ぎっくり腰、寝違え、捻挫など)は
今までほぼ一度で治療を終えてます。
治 療 法
ステンレス製の細いはりを用いて、痛みや神経の異常興奮や麻痺又は鈍磨の回復を図る技術。
治 療 感
鍼治療が初めての患者さんでも 刺してるかわからないと言われる方がほとんどです。
痛覚は人によって異なるので
当院ではお一人、お一人にあった鍼の打ちかたをしてます。
刺入時の痛みはほとんどないです。
(治療の効果としてひびきという独特な鍼治療の感覚はありますが、瞬間的なものですぐに消えます。)
※使用する鍼は、個別包装されており、すべて使い捨て(ディスポーザブル)です。
当院では『透熱灸』といって
半米粒(お米粒の半分の大きさ)のもぐさに
直接火をつけるお灸をします。
小さな火傷を作ることで
体の生理機能を利用し『新生血管』を作ることで
主に慢性疾患に治療効果を期待できるものです。
初めての方や施灸跡を気にされる方には、灸点紙を利用して灸熱を緩和してます。(写真参照)
お灸は地域によっては『やいと、えつ』とも言います。
『灸』は火に久しいと書き、久しいとは優しいとも取れる言葉です。いかに体に優しく(外から薬や痛み止めを入れるのではなく体の中で治癒する)火傷による新陳代謝を促すかが大切な使命です。
血液を新しくし、新生血管をつくる事により神経や筋細胞を賦活させ
る効果が期待できます。
お灸の大きな役割、使命はこの事にあると考えてます。
もぐさ商人より、昭和11年4月18日発行された 伊吹艾と亀屋左京 と
題する本を頂きました。
お灸治療は、色々と諸本が発行されていますが、お灸に使う艾(もぐさ)
について書かれた本は少ないようです。
しかし、お灸をする上で一番大切なものは 艾 です。
艾でも、質の悪いものや隔絶灸用(燃焼温度の高い)艾を間違って
使用すると必要以上の火傷を作り、大きな水泡を生じさせてしまう
事になりとても治療にはなりません。
伊吹艾のご本の中には、法然聖人や後白河法皇の灸治の日記や
日蓮聖人の『開日鈔』が紹介されており、
特に日蓮聖人の
「子供ニ灸治ヲ加レバ 必ズ父母ヲアダム、
又一子ノ重病ヲ 灸セザルベキヤ」
との言葉の意味には、心胆を震える想いが感じられました。
後白河法皇の日記「玉葉」には
「此日吉日ニ依テ「宮」御灸治ヲ加ヘ給フ、御腹痛云々」
と詳しく昔の事例を記載されております。
中でも、亀屋左京氏の名園蔵六亭で休憩をされた
諸大名の掲示札の記載を見て驚きました。
歴史上の有名人が数多く、抜書での一部を紹介しますと…
天保申年
2月 金地院
4月 藝州家中
5月 薩州家中、同 片桐石見守様
9月 御目付
天保酉年
4月 小笠原大膳太夫様
5月 織田大和守様、土佐家老、柴田織部様
8月 伊達但馬様、北條遠江守様
天保戌年
4月 本願寺
9月 身延山上人
天保亥年
5月 毛利伊勢守様、
8月 板倉伊豫守様、同 伊達遠江守様 等々、
恐らく全ての大名が一度は立ち寄ったと考えるに足る資料です。
亀屋左京氏に付いては、江戸吉原で散財し 芸者衆を通して
「伊吹さしもぐさ」の歌を歌わせて宣伝し、伊吹の艾を広めた
豪商で色々な逸話が残る人であります。
この資料等からも推測出来るように、灸治療は今から
五百年ほど前は、日本の中枢を担う人達が健康維持の為に
盛んに行われていた事実を物語っておりますし、この方々は
あらゆる面において、確かな知恵や情報を持ち合わせて居た人々です。
その人々がこぞって、お灸治療をされたと言うことは、
当時からお灸の治癒効果は、かなり高いレベルであったと考えるべきです。
当時、江戸市内で艾の売り子が連呼した掛け声は
『 エ~♪ 名物伊吹艾で 御在(ゴザイ)
この艾(モグサ)で 灸(治)すれば、病の神は逃げてしまい
万病、必ず全快は請け合いです エ~♪ 名物伊吹艾~♪ 』
藤河内渓谷山の道